ジャッキーマクリーンとジャズシーン

~押さえておきたいジャズの演奏スタイル~

まずは、時代とともに移り行くジャズの演奏スタイルのおさらいです。演奏スタイルを押さえておくことで、お手元の音源がどんな時代にどんな思いで演奏されていたのかが、より鮮明になることでしょう。

Swing Jazz=スウィングジャズ(1930年代~)

ジャッキーマクリーンが1932年に生まれた時には、すでにニューヨークでは最先端の音楽として、スウィングジャズが鳴り響いていました。父親もギタリストでしたが、どちらかというとブルース系の人だったようです。当時のニューヨークで幼少期を過ごしたマクリーンは、教会音楽としてのゴスペルや、日本の演歌のようなブルースなどを日常的に接する環境にあったと思います。後の師匠となるチャーリーパーカーは1920年生まれで、スウィングの有名楽団のジェイ・マクシャン楽団に入ったきっかけで、1941年にニューヨークに来ることができました。

 

BeBop=ビバップ(1940年代~)

1940年代には、すでに腕に覚えのあるミュージシャンたちが、続々とニューヨークに集って、深夜のジャムセッションを繰り返していました。というのは、楽団での演奏はミュージシャンにとって大事な収入源ではあったが、音楽的な進歩にとって制約が大きく、一部の有能なミュージシャン達にとっては、ストレスの溜まることだったらしく、その鬱憤の発散の場として、観衆の目を気にせず思うがまま演奏に没頭するため、ステージが掃けた跡に行っていたのがジャムセッションでした。それはミュージシャン同士の情報共有の場で、バトルの場でもあり、ここで急速な演奏手法の進歩が始まりました。おそらくまだ悪ガキのマクリーンも、夜な夜な潜り込んでは、新しい技術を取り込み、習得のため、必死に練習していた時期かと思います。後の師匠とも言えるチャーリーパーカーと親交を深めるが、ビバップの偉大なピアニストのバドパウエルにジャズを教えてもらっていたからだそうで、その時期からすでビバップの重要人物たちから、かなり強い影響を受けていたと想像できます。テナーサックスの巨人ソニーロリンズは、高校の上級生だったというのも、本当にすごい環境です。

Hard Bop=ハードバップ(1950年代~)

ビバップ時代にまだ若かったミュージシャンたちは、先輩に教えを請うことや、模倣を行うことで、より先進性のたかかったビバップのスタイルに、分厚い層を作ることになり、ジャズのメインストリームとなっていきました。この時期になると、コード進行の細分化及び理論化はやりつくされ、取捨選択の時代になる。それに伴い、ミュージシャンの間の個性の発揮部分は、ビバップ時代に完成した理論をベースにした、より洗練された部分での、微妙な差異に焦点を当てられるようになる。

Mode Jazz

ハードバップの流れに、マンネリ=閉塞感を感じたマイルスデイビスたちが、コード進行に縛られるのではなく、あえてひとつのコードの中で何ができるか、何が表現できるかを追及し、チャレンジし、確立したスタイル。コードからモードへの概念をたて、フレーズでつむぐスタイル。ファンクでの、コード一発とはまた違う、独特の雰囲気カラーを感じさせることができた。カインドオブブルーでのキャノンボールアダレイがまだバップフレーズ重視でのアプローチを行っているのに対し、ジョンコルトレーンはスケール重視の、稚拙ではあるが後のモード進行の表現手法を決定付けるアプローチを行い、一躍注目されるようになった。

Free Jazz

時代は1960年代、公民権運動真っ盛りのとき、オーネットコールマンらによる、メッセージ性の高い表現手法が注目される。革命、破壊、再構築といったスローガンのもと、今までのがんじがらめのサウンドから、一から作り出す音楽を目指すような、ちょっとだけ聴くとでたらめをやってるような曲も多い。